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January 2004

31.01.2004

映画館

昨日書いたとおり、Load of the Ringsへ行こうということで、タイムテーブル確認のため映画館へ電話した。が、昨日で終了していた。(涙) あうあうあう。
この町には、いわゆる普通の映画館が一つしかなく(大学内にも小さいのがあるけど、映画館とは言えない規模)、同じタイトルを1週間程度しか公開してくれないので、こんな事態になってしまった。試験があったから、どうしようもないね。

でも、神様はいた。もしやと思い、大学内の映画館の予定表を確認したら、2月の上旬に数日だけ、この映画を公開してくれる!ということで、来週か再来週には、Load of the Ringsを楽しめそうだ。画面は小さいけどね。
よかった。

30.01.2004

休めるぞ

試験が終わった。今日の試験は、予想より範囲が狭すぎて、出題内容に対し広く浅くの準備しかできていなかったことになる。でも、せっかく準備したから、もったいないので、準備したことを質問には関係ありそうに書いておいた。点数を加点してくれることを祈る。
とりあえず、昨日は寝て無いので、これから寝る。
明日は、ロード・オブ・ザ・リングスでも見にいくか。

29.01.2004

安くて早い!Good deal??

うちの学校がこっそり新聞記事で紹介されている。

http://www.timesonline.co.uk/printFriendly/0,,1-10909-975244,00.html

内容は、アメリカのビジネススクールは2年で長すぎるし、コストもかかりすぎる。しかも、ビジネススクールを出ても以前に比べて収入も良くない。ということで、1年で卒業できる欧州のビジネススクールがアメリカ人からも注目されていると言う記事だ。特に、うちの学校は学費が安いので、比較対象として、その他の超有名大学とともに紹介されている。(しかし、相当安く見積もられているぞ。実際には、もう少しかかると思う・・・。)
この傾向に、まったく同感だ。30歳過ぎたおっさんに2年間は長すぎる。アメリカの大学のような長い夏休みもいらない。インターシップなんてやってないで、さっさと卒業して、正社員として働いた方がいいに決まっている。10年近いキャリアのある人間が1年間(欧州の場合)働かず、学費・生活費を支払うと、実際には相当な金額をロスしている。1ヶ月でも早く卒業して、実社会へ復活し、変わった(かもしれない)自分を試してみたい。さっさと勉強して、さっさと再就職、さっさと投資を回収する、というのは一つの価値観ではないだろうか?(アメリカだと2年。この総コストは、なおさら大きい。恐ろしい・・・)
人それぞれ考えはあるけどね。
余談ながら、これで、うちの大学も知名度が上がるといいですなぁ。

28.01.2004

ウェールズ語

テストを受けていて思ったんだけど、ウェールズ大なので、テスト開始前の注意事項などが、ウェールズ語と英語の両方でなされる。英語だーって思って聞いていると、突然聞き取れなくなり、あれれって(自分が英語を聞き取れていないのかな?)思うと、やっぱり途中から聞こえてくる。
学校の職員は、ウェールズ語と英語のバイリンガルなんだな。でも、かなーりマニアックな気がします。
だって、日本人が考えるバイリンガルと違って、あまり機会(たとえば就職)が広がりそうも無いと思います。

学校には、ウェールズ人専用の寮もあるし、科目によってはウェールズ人向けで、ウェールズ語での授業も行われているらしい。Undergraduateには、いろいろな選択科目があって、日本の大学生がドイツ語とかフランス語を第二外国語として学習するように、語学選択としてウェールズ語を学ぶことも可能らしい。ウェールズ語を学習中の日本人に少し教えてもらったけど、さっぱり分からなかった。
帰国するまでに、挨拶くらいはできるようにしたいと思う。そんな、今日この頃である。

25.01.2004

演奏会で思いだすこと

現在休団中の、日本で所属するアマチュアオーケストラのコンサート日が近づいてきている。もちろん参加もできないし、聞くこともできない。前回のコンサートは練習に参加していたけど、この留学が急に決まって、途中で降りた。とても残念だったし、前にも書いたんだけど、周りにも迷惑をかけてしまった。不愉快な思いをした人もいたと思う。
キャリアと趣味を天秤に掛けるひとなんて、あんまりいないかもしれないけど、天秤にかけて悩みました。

迷惑の話の続きだけど、留学の方法というか手順が、良く分からなくて、事前の計画(らしきもの)と現実の間にズレを生じさせてしまったことが急に旅立つ原因となった。異国の教育制度とかは、やっぱり分からないもので、エージェントを頼ったんだけれども、もっと自分でやっとけば良かったと思う。ちょっとした問合せで、随分事情が変わっていたはずだから。もちろん、1年延ばすという選択肢もあったんだけど、高めた集中力をもう1年継続させるのは、自分には無理だし、1年経っても、やっぱり何らかの、しがらみはあるわけで、人間関係が多ければ多いいほど、気付かずに、どこかで歪みを生じさせてしまうのだろう。申しわけないんだけど。

余談ながら、情報収集のことで書いておくと、人づての話ほど当てにならないことはない。情報は自分で集めるものということを大いに痛感します。ここでの生活を通じて。

23.01.2004

試験 折り返し

前半戦が終了した! 残り半分だ。
ともかく、前に書いたとおり、2時間ぶっとうしで書いた。2000字近くは書いたと思う。でも、下書きを完璧に覚える事はできなかったので、満足いくアーギュメントができているのかどうなのか、自信はそんなにない。
良く考えると、大学時代は、ディスカッションを要求されるようなテストって、あまり無く、大学院のように論述ばかりのテストは、やっぱり大変ですね。(英語だし。)

ところで、大学時代、日本美術のテストで、事前に自分で美術館を選んで、そので展示されている絵画作品について論述せよという課題が事前に提示された。
実は、どの美術館へ行ったかというところから評価が始まる。大学の先生は、なかなかポリシーの強い方で、デパートの美術館へ行ったなんて書くと、その時点で点数が大幅にさっがってしまった。私は、その辺のこだわりを感じていたので山種美術館へ行って、奥村土牛の桜の絵をネタとして選び、実際にテストで論じた。後日、関連する文献をチェックするなんて常識的なことはしないで、美術館で自分なりの考えを鑑賞しつつメモしておいて、それを適当にまとめたものだけを頼りに、勢い良くテストで書いただけだった。記憶があいまいだけど、適当に書いたのに、何だが結構良い点をもらったことにびっくりした。(文才が、あったのでしょうかねぇ)

今思うと、私にとっての論述テストなんて、そんなくらいの経験しかないので、英語で書いた論述文が、どのようにこちらで評価されるのか、興味津々である。いい思い出になるとうれしいなぁ。

ちなみに、日本画家だと私は、村山槐多が好きだ。でも、その話は、また後日。

18.01.2004

試験勉強

昨日は、日本人4人が集まって試験対策の勉強会を開いた。割り当てした内容を、準備して、説明する会だ。二日で2000字分くらい用意して行った。人それぞれ要点のまとめ方が異なるので、刺激になる。
やっぱり一番分からないのは、企業会計だな。こればっかりは自分でやって理解しないと先へ進めないのでしょうがない。
ほんとは、知っているんです。日本人で固まるのがよくないことを。だから、次からは、いろんな人を巻き込んで勉強会を開くようにしたいと思う。(でも、何回かは、勉強会は開いているんですよ。日本人以外とも。メインになっていないだけで。)

16.01.2004

昼夜逆転

来週から始まる試験の準備で、寝れなかった(現在、朝11時半)。 どんな問題が出るのか分からないけど、ある程度予測して、エッセイを本番で書くのだ。選択式でトピックを二つ選び、それぞれ大体1000字程度記述する必要がある。2時間以内で合計2000字近い文字を書くのだ。
とてもじゃないが、下書きして無いとnativeでない僕には無理だ。ということで、しこしこ夜中じゅう、書いてみた。でも、まだ1000字分だけだ。あと三本は最低書かないと危険だ。

ところで、英国ではポテトチップスの事をクリスプ(crisp)っていうんですよ。知ってた??

15.01.2004

年賀状

今日、家族にFAXで年賀状を送ってもらった。
試験勉強で忙しいんだけど、ウェールズ留学を伝えていない知人へ返事を用意している。昨日も書いたけど、人間のつながりって、大事だ。
年賀状って、いつも顔を会わす人より、めったに会わない方へ最低で年に一回、近況報告をするための役割の方が強いのではないか?だから大事にしたい。

実際には、メールアドレスが分かる方へは、グリーティングカードで返事をしようと思う。
そうで無い方へは、明日、観光用のカードを町で買って、エアメールだな。
きっと返事が無いから、変に思っているんだろうなぁ。

14.01.2004

パリの思いで 6

6日目から8日目(最終日)でなにをしたかというと(もう、時間が経ちすぎたので一気にいきます)、モンマルトルの丘に登ってパリを一望。とても美しい。自分の今住んでいる寮も丘の上にあるけど、見えるのは、絵に描いたような小さい町並で、それ以外には、丘と海だけだ。パリのような、一面建物だらけの光景なんて久々に見た。
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昼に、うどんを食べた。その讃岐うどんやさんを、以前日本にいるとき、パリで奮闘する日本人というテーマのテレビ番組を見て知っていたので、きっとオペラ付近にあると予測を付けてうろうろする。部屋でネットができてさえいれば、事前調査可能だったんだけどね・・・。
難なく発見。店に入るなり、”いらっしゃいませえ”の掛け声に、懐かしさを感じつつメニューを見ると、日本語がメインで表示してある!! でも金額は、10~15ユーロの間と案の定ちっとばかし高い。しょうがない、金額を気にせず、思いきって”てんぷらうどん”を食べた。薄味なしょうゆと、ダシが私をとっても幸せにしてくれた。あと10ヶ月は、もうこう言う料理は食べれないのか・・・・。
ただ、店側のせいじゃないんだけど、たまたまレジの目の前のカウンターに座ったため、私の目の前の空間(どんぶりの目の前)で、勘定を置く日本人観光客が複数いっらっしゃいました。立ち食いうどんやだって、こんな事する人いないぞ、きっと。他人の視点に立って、行動してほしいと思う私であった。

ところで、7泊もすると、いいかげんする事がなくなってきたし、なぜかウェールズの寮が我が家に思えてきた。普段英語がうまくしゃべれずに四苦八苦している分際なのに、フランズ語圏にいると恋しくなるとは、なんだか複雑な気持ち。

最終日の夜に、シャンゼリゼ通りの夜景目当てで、オペラからコンコルド通りへ出る。この日は、とてつもなく寒いけど、最終日だからがんばって歩いた。
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といったところで、パリの旅行日記を終わらせようと思う。尻すぼみ系でしたけど。(あ、もちろんエッフェル塔もいきました。)

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こもり系

ここ2日部屋から出ていない。勉強をしているからだ。とはいっても、起きているときすべてを勉強に費やしているわけではもちろん無い。ただ、特に支障も無いので、こうなってしまっている。事実上の引きこもりだ。
2月から授業も開始するし、あと半月基本的にこもり系で暮すのかなと思う。

インターネットがあると、日本の情報が、ある程度だろうが得られる。便利なもんだ。夏の頃、こっちに来たばかりで、日本に対する恋しさもあって、友人たちとしょっちゅうウェブカムでチャットをしていた。なつかしい。
もちろんというか、なるべくしてなったというか、英語の学習にマイナスが効果あるので、チャットで利用していたメッセンジャーを立ち上げなくしてしまった。

最近は、チャットしたくても、友人たちが全然接続していないので、する機会もなくなってしまった。もしかしたら、友達甲斐の無いやつと思われて、別のアカウントで楽しんでいるのかも。こういった微妙なコミュニケーションの維持も、留学の気苦労の一つなのだと最近強く思う。
それはそうと日本の家族に頼んでる、今年頂いた年賀状の情報早く届かないかなぁ・・・。返事書かなきゃ。

人とのつながりは、スキルや学問より、大事ですよ。ほんと。

11.01.2004

パリの思いで 5

5日目は、確かノートルダム寺院とオルセー美術館へ行ったと思う。
教会で一度でいいから金管アンサンブルとか、合唱曲(ドイツレクイエムがいいな)を演奏してみたい。
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そこから、歩いてオルセーへ移動。これは失敗だった。地図上では近そうだが、歩くと遠い。鑑賞を開始する前に疲労してしまった。
オルセーには、日本人好みの印象主義(impressionism)の絵画が沢山ある。大学時代、西洋美術の授業で、学習した絵画がここには沢山あるなぁと思いつつも、10分おきに休憩を取る。もーへろへろ。
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(フラッシュなしですよ!もちろん)

そのあと、中華街へ移動。駅を出ると中国系スーパーマーケットを発見。うれしくてすぐ入る。おいなりさんの皮を買う。これで元旦は正月っぽい食事ができるぞ!

10.01.2004

留学を考える 1

イギリスの大学院への留学を考えてみる。

一年前、私はToeflの点数が上がらなくて、焦っていた。会社の上司に、推薦状のお願いも兼ねて、こっそりMBAの相談を持ちかけたところ、数人に速攻で話されてしまい、引くに引けない状況になってしまった。どうしても、2003年9月には入学せざるを得ない!

結果から言うと、中堅大ではあるが、現在ビジネススクールで勉強する学生になることはできた。しかーし、一年前、私の前に立ちはだかっていたToeflは英語のきっかけを与えてくれただけで、入学の審査にはたいして影響を与えなかった。正直にいうと、去年の今頃、私は180点前後しか取れていなかった。(はははは・・・・・)
アメリカに本社のある会社に所属して、仕事で毎日英語使っていたんですけどねぇ・・・。

では、どうやって英語という問題をクリアしたか?
たぶんであるが、大体のイギリスの大学には、語学センターが設置されており、海外からの学部生・大学院生向け、また英語を学ぶ語学生向けのサービスを提供している。私は夏のプレコース(9月に入学する事を前提とした学生向けの語学コース)に参加して、入学を希望するコースから提示された条件をクリアしたので、現在学生として英国にいるのだ。6月の末から9月上旬まで2ヶ月強の期間であったが、周りの人間関係をあまり整理せず、慌てて渡英し、会社を休ませてもらい、迷惑を掛けっぱなしだったので、この期間、条件をクリアできなかったらどうしようといつも考えていた。

正直感じたところをいうと、語学校経由の入学(いうなれば内部推薦)の方が、Toeflの条件をクリアするより楽である。私は、Toeflをクリアしないと願書を出せないものと考えていたが、上位の数校を除けばそんなことはないように思う。ビジネススクールに限るかもしれないけど、ある程度の職歴があるならば、イギリスの大学院に入りたいならば、まずは、語学力の証明は後回しにして(提出時に忙しいから、後日送るとカバーレターに書けば、大抵いけると思う)、さっさと願書を送る準備をすべきである。もし、仮合格がもらえたら、postgraduate officeか、その学校の語学校へ入学する相談を引き続きすべきだ。きっと、英語の点が足りない人向けのスキームが用意されているはずだ。ついでにいうと、Toefl180点前後なら、きっと数ヶ月英語圏でまじめに勉強すれば240前後の点くらいは取れるはずだ。(私は結果的にそうだった。)

プレコースの終盤に私はそのことに気付いて、後悔したくないので、まだ間に合う数校の上位10位台の学校へ慌てて願書を出した。驚くことに5日で仮合格を出したところがあった。現実って、そんなものなのだ。
海外の学生が英語ができないことは当然であり、学校は期待もしていない。もし、私がその学校に、去年の今頃(1月)時期にアプローチしていたら、きっとそこのプレコースへ行っていたと思う。結果論だけどね。

結果的に、ウェールズにある中堅校へ入学したが、念のため言っておくと、他校を比較する機会もないので、なんとも言えないけど、結構ヒーヒいいながら勉強しています。だから私は、いまの学校に不満はないです。また、上位校は学費は高いし、いまいる町より、大都市だからコストもいまより掛かっているだろう。貯金を食いつぶし、かつ、本来稼いでいるはずの収入もない身としては、コスト意識は高くなります。結局、メリットとデメリットは、表裏一体であり、無理ができるのは、お金の心配が無い人だと思う。

もし、ビジネススクールへ行こうと計画している方には、まず、エッセイやCVを完成させて、さっさと学校へ送る事を奨める。特に職務経歴が、20代の若者より断然優れている可能性のある経験ある30代は。学校は、CVやエッセイを評価すると思う。欲しい生徒には、語学力に関する入学条件を提案してくるはずだ。

今日は、そんなところで終わり。次回をお楽しみに。

07.01.2004

だらだら

寝すぎた。2日集中すると、1日から2日やる気が起きない。いけないことだ。
ビジネスの現場に比べると、やはりここは甘いのだなきっと。お金と時間を消耗するためにここに来たわけではないので、もう少し有効に時間を過ごそうと思いたいが、とりあえず明日は、病院にいって仮治療の状態の歯を直しに行こうと思う。
また、旅行したいなぁ。

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(昔旅行したチェコのある田舎町の写真。本編とは関係ないです。)

パリの思いで 4

4日目の夜、バスティーユにてオペラ:ワーグナーの”さまよえるオランダ人”を見る。
せっかくだから、オペラでバレーを楽しもうか悩んだんだけど、オペラにした。だって、チューバ吹きとしてはワーグナーの方が聞き応えあるんだもの。
序曲から、積極的な音色のホルンが私を魅了する。しっかし、ゆっくりな演奏だ。なんだかチェリビダッケを思いだしてしまった。
お話は、呪われちゃったさまよえるオランダ人(名前はない。なんでだろう・・・。)が、劇中のドラマを通じあれこれあって、最終的に女性の愛により呪いから解放されるという、これ以降のワーグナーの作品とおんなじテーマ(愛による救済)が展開された。(この作品が最初だったかな? 忘れてしまった。)
舞台は、斜めの床と、その奥に巨大絵画(海の絵)が壁に展示されている。右手奥には、大きな扉があり、そこから水夫やら船長が出たり入ったり。
舞台上に電光掲示板を発見。もちろんフランス語。ドイツ語より分かんない。ストーリーはなんとなく知っているから、大丈夫かなと思ってたけど、旅疲れか、はたまた精神的ショックによる疲労か、途中寝る。
ことばが分からないため、ストーリーより、絶え間なく吹き続ける金管の体力に関心が移っていく。
最後は、ゼンタ(恋人って表現でいいのかな?)は、さまよえるオランダ人を追って海中に身を投じる。そうすると呪いが消え、オランダ船は海中に沈み、さまよえるオランダ人とゼンタは浄化され昇天するらしいんだけど、なぜか、オランダ人の恋のライバル:エリックのナイフでゼンタは自害する。ここら辺はアレンジってことなんでしょうかね??身をささげると言うことに関しては同じなのかな?
演出より、実はすごいと思ったのはラストシーンでも音色も音量も緊張感も維持し続けた金管の面々だ。しかも、作品を通じて、舞台転換は無し。というか休憩も無かった。つまり当然オケも休みなしだったのだ。すごい!
このオペラは初めてだったので事情をしらないが、1回くらい休憩を普通入れると思うんだけど、どうなんだろう。
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(これは、今回とは関係ないです。セーヌ川です。)

04.01.2004

パリの思いで 3

4日目、ベルサイユ宮殿へ行く。とても風が強く寒い。地下鉄と列車を乗り継いで到着。
駅から歩くこと数分、あのベルサイユ宮殿へ初めて来た。けど、石畳というより、石そのものの上を歩くような感じなので、とても歩きづらい。昔からこうなっているのだろうか??
インフォメーションで英語で丁寧な説明をしてもらい、大体の概要を掴んでから見学をする。
4時間くらい、あっちこっち歩き回って、宮殿鑑賞を堪能。これから長い間掛けて、修復作業を進めるそうなので、終わった頃(10年以上あとだったと思う)、また来よう。
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3時ごろ、宮殿を出て昼食のためケパブ屋へ入る。
ここで、ショッキングな事件が発生する。
差し歯が折れた。しかも前歯だ。笑うと、芸人のようだ。最悪だ。もしかすると帰国さざるを得ないかもしれない。そう思うと気持ちが、最悪な気持ちへ。
こうなると、観光どころではない。早速ホテルへ戻り、保険会社へ連絡し、提携している日本人医師を紹介して貰う。
今日は、金曜日だから、土日はこのままでガマンするしかない。
けれども、今晩は、オペラがまっている。ワーグナーのさまよえるオランダ人だ。

パリの思いで 2

三日目、モンマルトルから徒歩でルーブルへ行く。
10年ぶりのルーブルだ。以前は、フランス語どころか、英語もできなかったため友人と二人で、とってもストレスフルな時間をすごしたことを覚えている。この日は、一日中、ルーブルに充てたので、ゆっくり鑑賞。でも、普段机に向かいっぱなしなので、すぐに腰が痛くなる。運動不足だ。
美術品に関する知識は、結構あるはずだった(実は、学芸員資格を持っている)。
けれでも、スッカリ美術品に関する知識を忘れている自分に気が付いた。

言い訳っぽいが、あまりに美術品が多すぎて、逆に何も印象に残っていない。印象にのこっているのは、
・日本人団体客が日の丸の旗をもった添乗員さんを先頭に行進する様子
・日本人よりも多い中国人観光客(経済の調子がいいのですね。やっぱり。)
である。
あと、なんでそうなるのか分からないが、中国人観光客に中国語で話しかけられ、英語で”自分は日本人である”と伝えたのに、引き続き中国語で質問され続けた事である。(”ミロ”という単語が聞こえたので、ミロのビーナスの展示してある方角を質問されたらしいが・・・)。 その人は、非常に不思議そうな顔をして去っていった。(冷たい仕打ちをしたわけではありません。)
その後、何度も同様の事態に遭遇する事になる。(確かに、台湾人のクラスメートに、”いつ台湾に帰るの?”と質問された事はある。しかも会話自体は英語だったのに・・・)
しまいには、フランス人からも、”メルシー”(フランス語のありがとう)の代わりに、”謝謝”(中国語のありがとう)と言われだした。
なんだか不思議な気分だ。
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パリの思いで 1

パリに行ったときの事を、思い付くままに書き記そうと思う。
初日、6時間掛けてパリ市内に到着。大都会だ。
ホテルは、モンマルトルにある一つ星ホテル、その名も"Perfect Hotel"。料金が安く(一泊50ユーロ)、朝食も付いていたので、結構満足した。夕飯は、ガイドブックからピックアップしたレストランへ行く。とても繁盛しており、料理もおいしかったが、フランス語が読めないのでオーダーにはとても苦労した。実は、メインディッシュのつもりで頼んでいたものがツナのマヨネーズということが分かり、慌ててもう1品頼むハメに。

ところで、友人から借りた日本語のガイドブックによると、モンマルトルはとっても危険と書いてあり、移動の際は、特に夜間は結構ドキドキしていたんだけど、旅行を通じて何も起きなかった。たまたま運が良かっただけなのだろうか??(英語版のガイドブックには、そのようなコメントは見当たらなかった・・・)

二日目、とりあえず歩いてオペラへ。写真をバシャバシャ撮る。そこから再び歩く。今度はコンコルド広場経由で凱旋門だ。再び写真を撮る。ここまでは、普通の観光客っぽいが、ここからが若干違っていた。
実は、私が籍を置いている会社の関連会社のオフィスがパリにあり、入社時からいろいろやり取りしている人間がパリにいるので、昼に会うことになっていた。仕事で初めて英語を使った人間が、彼であった。当時全くしゃべれなかった私に忍耐強くよく付き合ってくれたものだと思う。本当に感謝だ。
オペラ前で合流し、カフェでランチ。ウェールズでの生活や、勉強の話など世間話をする。彼は、私がヨーロッパへ留学することを告げた時、とても喜んでくれ、励ましてくれた人だ。これまでの仕事を通じ積み重ねてきた信頼関係が、こういった人間関係を築いてくれる。文化が違えども、言葉がうまく通じなくても、信頼関係は築けるのだと改めて思う。ところは違うが、大学の人間関係もきっと生涯にわたるに違いない。どちらも大事にしていかなくては。

その後、デパートへ行く。クリスマス前でごった返す店内はとても疲れた。でも、こんなに人を、商品を見たのは久々だ。でも疲れて、最上階のカフェで休憩するが、寝てしまった。
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夜は、サバリッシュ指揮のパリ管弦楽団のコンサートだ。
コンサート会場は、お客がいない。パリでは、オケは人気が無いのだなきっと。
一番安いチケットをネットで購入してあったので、最上階へ移動。舞台が非常に遠い。しかし、開演寸前、係りの人が来て、下への移動を促す。やったラッキー。
結局2階層下のフロアで席を確保。得した。
サバリッシュは、よろよろしていたけど、普通に指揮していた。後日、2ちゃんねるを見たら、もう自力走行不能と自信ありげに書いている人がいたけど、そんなことはないと思う。ネットって嘘か本当の見分けが難しいんだなあとしみじみ思う。

曲目は、リヒャルトプログラム。マクベス、バイオリンコンチェルト、イタリアの順。

マクベスは、何年か前に、十尚先生指揮で演奏したことがあるので、懐かしかった。音楽の作り方は全然違うので面白かった。もう、二度と演奏する機会はなさそうだけど。

2曲目は、ルノー・カプソン(Renaud Capuçon)である。実は、彼の事を知らなかった。この日記を書くにあたって検索した。私はチューバ吹きなので、バイオリニストに造詣が深くないが、とてもうまい演奏だった。機会があれば何度でも足を運びたいバイオリニストだ。
リヒャルト・シュトラウスのバイオリン協奏曲がどれほど難しいのか知らないが、難しいのだろう。けれども、聞いている限りは、非常に自信をもって、観客を不安に陥れるような演奏ではなく、すばらしい音色で感動を与えてくれた(たまにコンチェルトで、止まるかもしれないと観客に印象を与える、どきどきする演奏会ってあるじゃないですか)。
と誉めまくったら、来週日本でN響の定期に出るようだ。有名な方を私が知らなかっただけのような気がしてきた。

3曲目は、イタリア。英雄の生涯のような管弦楽曲を書いた時期とは異なり、初期の作品だ。木管楽器の演奏はすばらしかった。ハープの人が楽しそうに弾いているのが特徴的であった。

さぼりっぱなし

新年になってしまった。あけましておめでとうございます。
これまでの間、何をしていたのかというと、
12月上旬の怒涛のレポート地獄から反転、下旬はパリへ旅行へ行ってきた。
毎日現地から書き込もうとノートPCを持って行っていったのだが、一つ星ホテルの個室には電話が無かった・・・。

いまは、再び締め切り間近のレポートに必死に取り組んでいる。追い詰められないと、動かない性分は、どうしようもないけど、改善しないといけないと思う今日この頃。

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